中川ホメオパシー 

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深津絵里 内野聖陽 森田芳光 / (ハル)

神保悟志
ワケもなく人質


どうも。 ギャグ漫画ゲリラ中川ホメオパシーの岡村靖幸担当、ブロッケンです。

森田芳光脚本・監督の映画『(ハル)』を観ました。 先日観た『家族ゲーム』があまりに
も良かったものですから、森田監督繋がりという事でこのチョイス。今からおよそ15年前、
1995年の作品です。  もうそんなに経ちますか。

怪我によってアメフトの選手生命を断たれ、生きがいを失った男・速水昇=(ハル)(内野
聖陽
)と、事故で最愛の人を失った女・藤間美津江=(ほし)(深津絵里)が、パソコン通信
を通じて少しずつ心を通わせていく…というあらすじ。

“十年一昔”なんていう言葉がありますが、ことテクノロジーの分野において、十年は一
昔や二昔どころの騒ぎじゃねえなって、久々にこの映画を観て痛感した次第。 “パソコ
ン通信”っていう言葉の響きに、何というか、歳月の流れを感じますよね。 それから“フ
ロッピーディスク”って単語も久しぶりに聞いたなあ。 相手の顔を見ながらリアルタイム
でチャットを楽しんだり、フラッシュメモリで大容量のデータを気軽に持ち運んだりって
のが当たり前となった現代(いま)の感覚からすれば、やはり隔世の感を禁じ得ません。

ハヤミノボル、略して(ハル)という、やや安直なハンドルネームの由来に対して、深津絵
演じる(ほし)のハンドルネームの由来―夜空にまたたく星の様に、遠く離れたところか
ら人々の生活を眺めていたい。でも星や☆にはなれないから、平仮名で“ほし”―に込
められた、どこか自嘲気味で厭世感の漂う感じ、すごくリアルだと思います。 他人と深
い仲になるなんて疲れるし面倒臭いけど、それでも繋がりを求めずにいられないといっ
た具合に、奇妙にねじれた現代人の心模様が上手く表現されてますよね。 

そんな深津絵里にしつこく交際を迫り、その上ストーカーまがいの監視を続ける男が出
てくるのですが、そもそもこの作品が世に出た1995年当時には、まだ“ストーカー”とい
う言葉すら定着していなかったワケで、いかにこの作品が世相を先取りしていたかとい
う事実に改めて驚かされます。

ちなみにそのストーカー男を演じるのが米米クラブのバック・ダンサーを務める竹下宏
太郎
氏。その他にもザ・ブーム宮沢和史や、元ザ・チェッカーズ鶴久政治など、
役者畑以外からの大胆な起用が目立つのも本作の特徴です。 しかし、これらの起用
には『家族ゲーム』における戸川純のような、“不気味な違和感”を体現させるといった
狙いは希薄で、むしろ本職の俳優達の中に彼等を配置する事によって、作品自体にあ
る種の“現実っぽさ”を加味させるといった目論見があったのではないでしょうか。

ちなみに本作の主題歌はザ・ブームの『TOKYO LOVE』というナンバーなんですけど、
この曲がまぁとにかく素晴らしい。ありとあらゆる音楽スタイルを貪欲に食い散らかしなが
ら、ポップ・ミュージックの限界をグイグイと押し拡げていた頃のブームらしい越境精神を
感じさせる名曲です。  ジャズもサンバもポップスも一曲の中に放り込んでしまうその雑
多さって、そのまま東京という街の、怪物じみた底知れなさに通じる部分がありますよね。 

余談ですが、この“TOKYO LOVE”はシングル・カットもされており、その際に併録された
のが名曲“風になりたい”。 この時期のブームの充実ぶりを物語る、実に贅沢なカップ
リングだと思いませんか。

ネット上におけるコミュニケーションにはつきものの、ちょっとした嘘や虚勢を交えつつ、少
しだけ傷ついたり、幻滅したりを重ねながら、少しずつ(ハル)と(ほし)の中で、互いの存在
が大きくなって行く過程を、テキストと映像を交差させながら静かに、そして丁寧に描いて
いく演出も非常に秀逸。 テキストも、れっきとした映像の一部として作品の中で同列に扱
われるこの独特の映像感覚は、『弟切草』や『かまいたちの夜』といった一連のサウンド
ノベル・シリーズを彷彿とさせますが、何でも森田監督は、洋画の字幕を眺めていた時に
今作のヒントを得たとか。

そして、(ハル)と(ほし)が、初めて互いの姿を目の当たりにする場面こそが、やはり今作の
ハイライトと言えましょう。 盛岡の田園地帯を時速200キロで駆け抜けていく新幹線の中
から、ビデオカメラのファインダーごしに、窓の外で同じくビデオカメラを構えた(ほし)に手
を振る(ハル)。  束の間の邂逅の、そのわずかな瞬間にありとあらゆる感情が一気に交
錯する、掛け値なしに素晴らしいシーンだと思います。 

でも、こん時に二人が手に持ってるビデオカメラってのがまたデカくてかさばりそうなんで
すよね。 ここでもテクノロジーの進歩を、歳月の流れと共にひしひしと感じずにはおれま
せんでした(*´▽`*)

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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2010/03/29(月) 17:29:49|
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松田優作 森田芳光 / 家族ゲーム

きょうだい
ワケもなく仔猫


どうも。ギャグ漫画ゲリラ・中川ホメオパシーの非実在青少年担当、ブロッケンです。

森田芳光脚本・監督の映画『家族ゲーム』を観ました。 このブログでATG関連の
作品を取り上げるのは『台風クラブ』に引き続き二本目になりますね。

高校受験を目前に控えたいじめられっこの次男・沼田茂之(宮川一朗太)に、風変わ
りな大学生・吉本勝(松田優作)が家庭教師として雇われた事から巻き起こる沼田家
の騒動を、シュールかつドライに描いたホーム・ドラマ。

まず何と言っても本作の最大の魅力は、松田優作演じる謎の家庭教師・吉本勝の
圧倒的な存在感に尽きると思います。 三流大学の7年生(!)であるという事と、ど
うやら恋人がいるらしいという事以外、一切が謎のヴェールに包まれた吉本。普通
のドラマであれば、人物描写の掘り下げが甘い等といった批判の対象にもなりかね
ないキャラ設定ですが、本作においてはその情報の少なさ、つかみどころの無さこ
そが吉本という男のミステリアスな魅力につながっているという点が非常に面白かっ
たですね。

そんな彼の不透明なパーソナリティとは対照的に、いつも小脇に植物図鑑を抱えて
いる、飲み物は一気に飲み干してしまう、暴力をふるいそうになると軽く鼻をすすり
鳴らす等々、外見的な特徴や仕草はとてもヴァリエーションに富んでいるという、そ
のちぐはぐ加減が重ねて面白い。

この、特徴的でありながらも素性の全く見えない男を名優・松田優作が演じる事に
よって、そのアンビバレントな魅力は更に倍増し、どこかユニセクシャルな振る舞い
(宮川一朗太のほっぺにキッスしたり、伊丹十三の手を握りしめる等)と相まって、
圧倒的な存在感を醸し出しております。

素晴らしい映画の条件として、キャストと劇中人物の親和性の高さ―平たく言えば
“この役はこの演者以外に考えられない”と感じられるか否かというのが挙げられる
かと思いますが、まさに本作における家庭教師・吉本勝役には、松田優作以外考え
られない位、絶妙のハマリっぷりでしたね。

本来なら家族団欒の象徴である食卓が、何故か会議室の長机の様に横長で、そこ
へ横一列に腰掛けて、互いに目も合わせず食事をするといった、ある種異様な光景
も実にインパクト大。しかもその食卓の中央の席に部外者である松田優作が居座る
事により、何ともいえないギクシャクとしたムードが漂う辺りが滑稽でもあり、どこか
不気味でもありました。 

また、足音やクラクション、そして鳩時計やテレビの音声といった実際の生活音とセ
リフ以外、音楽やBGMを一切排したドライな演出も、異様な食卓風景と併せて、ホ
ームドラマ=温和でほのぼのとしたイメージという既成概念に無言で“?”を叩きつけ
ているかの様です。 

森田芳光監督が、これらの実験精神溢れる演出の数々を通じて描いたどこかイビツ
な家族像が、劇場初公開した1983年当時よりもむしろ現代に暮らす家族のありよう
に、より多くの共通点を見出す事が出来るという事実に、今さらながら驚かされます。

そして、物語の終盤、松田優作が突如として凶暴さをむき出しにして沼田家の面々を
一人ずつ張り倒し、最後に例の長テーブルをひっくり返してその場を去っていく、いわ
ゆる“最後の晩餐”と呼ばれるシーンを経て、問題のラストシーンがやって来ます。

一見すると、春の陽気に誘われて母親(由紀さおり)と二人の息子達が部屋の中で眠
りこけているだけの、取るに足らないシーンの様にも見えますが、ただ一人父親(伊丹
十三
)の姿だけがそこには無く、何故か上空からはヘリコプターのプロペラ音が不穏
に響き渡っています。 

ここではたと、直前の“最後の晩餐”の最中で父親と長男・慎一が口ゲンカになり、そ
の会話の中で慎一が“金属バット殺人”をほのめかしていた事を思い出し、“ひょっと
すると伊丹十三は、息子達の手で殺されてしまったのでは…?”という、恐ろしい想像
が頭をよぎる、と。 そしてこの場合、ヘリコプターの音は殺人現場に押し寄せたマス
コミの取材ヘリの音という事になるのです。 …怖っ!

…この謎多きラストシーンに関しては、今まで実に様々な解釈が映画ファンの間でな
されてきたそうで、同じ団地に住んでいる若奥さん(戸川純)が由紀さおりに語った『う
ちの亭主の父親が危篤なんだけど、部屋で亡くなった場合、棺桶がエレベーターに入
りきらないので、どうやって外へ運び出せば良いのか?』というセリフに呼応したラスト
―つまり、ヘリに棺桶を乗せて団地の外へ運び出しているという解釈もあれば、この映
画の撮影当時、森田芳光監督がフランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録
にハマッていて、どうしてもラスト・シーンにヘリの音を使いたかっただけで、特別深い
意味は無いと捉えている方もいます。

いずれにせよ大いに想像力を掻き立てられ、深い余韻が胸に残る、素晴らしいラスト・
シーンですよね。 同じく謎に満ちたエンディングが話題を呼んだ『新世紀エヴァンゲ
リオン
』(今はエヴァンゲリヲンだっけか)より先駆けること十数年前、すでに我が国に
もこのような映画が存在したとは…。 おそろしく前衛的な作品だと思います。 傑作。


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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2010/03/22(月) 19:22:13|
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